2010/03/21

日本人がアメリカ映画を評価できない訳

米国では話題になった映画にもかかわらず、日本ではサッパリという作品は結構あります。なかでも、人間ドラマ系の映画に多く見られるのではないでしょうか。その大きな要因は、観る人の生まれ育った環境(社会・文化・宗教など)が大きく影響すると思われます。それにより台詞に込められた意味、演出など、作品に対する理解の深さが違ってくるのも当然といえば当然です。せっかく時間とお金を使い劇場に足を運ぶ訳ですから、楽しい時間にしたいのは誰もが願っていることと思います。

アクション映画は、劇中の出来事に対し、感情表現(怒り・喜び・驚き・恐怖・あきらめ・悲しみなど)が多く、その表現は万国共通といえます。大声や涙、表情などで表現されるため万人に伝わりやすいといえるでしょう。しかし、人間ドラマとなるとそうはいきません。アクション映画に比べ、ストレートな表現が少なく、台詞に込められた意味や演出をどう解釈するかにかかってきます。これが、見る人の生まれ育ちに大きくかかわってくると言うことです。

そこで、なぜ日本人がズバッと評価できない映画があるのか。作者が真に意図するところを日本人が理解できないかを、昨年公開された映画「路上のソリスト(The SOLOIST)」を例として、個人的見解として解説します。
日本語版予告編


この映画は、人生に迷ったLAタイムズのコラムニスト スティーヴ(ロバート・ダウニーJr.)と、統合失調症の路上生活者でチェリストのナサニエル(ジェイミー・フォックス)の物語です。この映画はロサンゼルスで、コラムニストが実際に出会った路上音楽家ナサニエルの数奇な運命をコラムに連載し、話題となり映画化されました。そしてこの二人の物語は、今も現在進行形として続いています。

スティーヴは、ベートーベンの像の前で2弦しかないバイオリンを奏でる路上生活者ナサニエルと出会います。ナサニエルがジュリアード音楽院に通っていたと知り、ジャーナリストとして興味を抱き取材をし、彼の今までの人生を知ることとなります。そして、ナサニエルをコラムで紹介したところ大きな反響を呼びました。コラムの連載を続けることにしたスティーヴは、取材を続ける中でナサニエルを路上生活から救い、音楽家として生きていけるようにできないかと思うようになりました・・・。

この映画の日本での評価は映画関連のサイトでは60点。おおかたの感想は「よく分からない」、「もう一歩踏み込んで欲しい」、「社会への問題提起」、「音楽がよかった」、「演技がよかった」など、鋭く切り込んだコメントなどは見当たりません。ではなぜこの作品が日本で深い理解をえれなかったのでしょう。

BIGLOBEでの寸評:「統合失調症患者の精神的な不安定さや繊細さを表現したジェイミー・フォックスの演技に脱帽。2人の男の心の交流を描いた感動作に終わらせず、問題提起で終わっている点が良い」(http://cinesc.cplaza.ne.jp/db/review/mo6818/)。
作品をご覧になればわかりますが、この寸評が苦肉のコメントであることが理解いただけます。他のポータルサイトにある映画コーナーも見ていただくと、日本人が深く理解できない映画であることがわかります。

では、米国人はどう感じたかを推測する手がかりが何処にあるか。それは、「キリスト教」であり「聖書」です。
参考:キリスト教信者数で見ると、米国は国民の7割〰8割、日本は1%未満。米国では書物としての聖書の研究も盛ん。2007年、iPhoneが発売時、iTunes Storeで聖書がダウンロードの上位になった。

まずは作品の中ほどにある回想シーンです。ナサニエルは音楽学校を中退し、自宅で生活していました。彼が抱える病のためか、自宅での生活は彼の精神に大きな負担を与えると共に、邪悪なささやきが聞こえるようになりました。結果、同居していた姉までも信頼できなくなり家を後にします。楽器だけを持って家を飛び出した彼を追った姉との別れのシーン。日本人の多くはそのシーンを、自身を苦しめる心の中の邪悪なささやきから逃れ、音楽とのみ生きることを決意したと理解したでしょう。

別れのシーンはこうです。家を飛び出したナサニエルを追いかけていった姉が「どこに寝るつもりなの」という台詞に背を向け、無言で橋桁のような白い建造物に向かっていきます。暗く寒い夜、アーチ型の白い建造物を下から照らす照明が入れられ、スモークがたかれていました。これは明らかに教会をイメージしており、「教会に入る」ことをイメージさせることを狙ったものと考えられます。つまり大まかに言えば「神のものとに行く」ことを意味し、心が開放され、神に一歩近づくことを意味していると考えられます。映画では、このシーンを経て路上での音楽家生活が始まり、彼の心の中の葛藤、開放へと繋がっていきます。つまり、多くの日本人はこのシーンで「教会」とイメージできないことで、映画の真意をより深く理解できないまま作品をみることとなってしまったと考えられます。(日本語版予告編:1分10秒部分参照)

また、特にスティーヴはこのシーンから心に大きな変化が現れていきます。本編では離婚した妻に自身の心の葛藤を打ち明けます。彼の心の変化を表すシーンです。ここから、エンディングに向け、俗に言う感動のシーンへと進んでいきます。

最後のシーンでスティーヴが、ナサニエルに対し、「Mt. ナサニエル。あなたの友達で光栄です」と言い、二人は握手をします。以下に記しているナレーションと繋がりますが、ここでは取材対象としてのナサニエルではなくなったと理解し、異なる境遇で育ち、過ごしてきた者でも理解しあえれば友人になれることを表現し、加えてアメリカ人はイエスが「兄弟たちよ・・・」やイエスの弟子たちが「あなたのおそばに居れて・・・」などの言葉に重ねたであろうと思います。

そしてこのシーンは、スティーヴのナレーションへと繋つながります。ナレーションの最後の4行は、キリスト教がその根底にあるものとわかります。文中の「芸術」を「神」と置き換えればそれは明らかと考えます。加えて「Mr.エアーズ」を「イエス」と置き換えてもよいでしょう。また3行目では、モノの充足が真の幸せであるのかを問うていると考えられます。

1年前、私はある不遇な男性に出会い、彼を救いたいと思った。
救えたのだろうか。
確かにいまやMr.エアーズ(ナサニエルの呼名)は、屋内で眠り、鍵を持ち、ベッドもある。
だが、精神状態と、暮らしぶりは、出会ったころと同じく不安定なままだ。

救えたといってくれる人もいる。
専門家に聞いた話では、友達ができることで脳に化学変化がもたらされて、社会性が増すのだと言う。
彼にそれが当てはまるのかどうか、友情が功をそうしたか否かの判断はつけがたい。

だが、自信をもって言えることがある。
私はMr.エアーズ(イエス)と出会って、その大いなる勇気と、謙虚さと、芸術()への信頼を目の当りにし、くじけず、ひたむきに 道を求めることの尊さを教えられた。
そして学んだのだ、何より救いを疑わず、ひたすら信じることの尊さを

如何でしたでしょう。アメリカ映画を楽しむ時のお役に立てたでしょうか。聖書や信仰は、その国の文化や精神に大きな影響を与えると知っていただければ、その作品が真に伝えたいことが理解でき、一層その作品を楽しめるのではないでしょうか。また、映画評論家やライター、最近では芸能人も映画について書いたりしていますが、もう少しその国の文化や精神について理解を深めていただければ、我々の足を劇場に向かせるコラムが書けるのではないでしょうか。

少しの疑問から「聖書」というものの影響力を知ることで、今まで以上に映画を楽しめるようになりました。皆さんも映画を観て「?」と思ったら、友人に尋ねてみたり、調べたりすることで、映画を見る楽しみがグッとアップすると思います。

最後に、路上生活者の名前「ナサニエル(Nathaniel )」は、ヘブライ語で「神の賜物」(「natan」 =「彼は与える」、「el」=「神」)に由来しており、「賜物」は、聖書用語で「贈りも」という意味です。つまり「ナサニエル(Nathaniel )」は、「神からの贈りもの」という意味です。

実在の二人と関係者へのインタビュー

2010/03/14

必見ドキュメンタリー「こつなぎ」

13日、ドキュメンタリー作品「こつなぎ~山を巡る100年物語~」を観てきました。464席のホールは満席。エンドロールが流れ始めると、会場からは拍手が沸き起こりました。


現代に生きる私たちに多くのことを考えさせるドキュメント映画「こつなぎ」。作品は、盛岡から北50キロにある山間の小さな集落「小繋(こつなぎ)」で、「入会(いりあい)権※1」をめぐって起きた「小繋事件」を追ったものです。作品は1960年代、3人のジャーナリストが足繁くかよい記録した、フィルム、写真、音声に、近年あらたに撮影された映像で構成された作品となっています。

明治以前より「入会(いりあい)」という習慣があり、小繋も集落に隣接する小繋山を「入会地」とし、食料となる木の実、きのこ、山菜、蒔きや住宅となる木など、自然の恵みを農民たちが集落で分かち合っていました。「個々の家が必要な分だけしか採らない」が基本ルールです。

小繋は駅の右側にあたります。現在でも農地が非常に少なく、当時を考えれば入会地が農民の生活に欠かせないことがよく分かります。



明治に入り土地に対する私的所有権が取り入れられ、入会地であった小繋山も江戸時代より入会地を管理していた長楽寺の名義となりました。入会地の税金は農民が支払い、今までと変わりなく利用していました。その後、金貸しが土地の権利を買い取り、次に貿易商に転売しました(1907年/明治40年)。

1915年(大正4年)、集落で火災が発生、28戸のうち26戸が消失しました。農民たちは家を建てるために、材木を得ようと入会地に伐採に入るところを警察に阻止されました。当時、所有権が明確になっても、その上に存在していた入会については、入会権として認められていましたが、所有者が入会権を妨害したとして民事訴訟となり、1975年の調停にいたるまでの60年もの農民の戦いを描いたドキュメンタリーです。

この作品は、単に入会権をめぐる農民の戦いのドキュメントではなく、今、我々に課せられている課題、「政治と地域」、「地域のつながり」、「助け・協力」、「家族」、「森林保全」などなど、多くの課題解決の手がかりを与えてくれる作品だと思います。50年前、3人のジャーナリストは、何を伝えるために取材したのでしょう。その答えをだすのは、あなた方の役目ですよ、と言われているような作品でした。

公式ダイジェスト


「こつなぎ」の情報はこちら:こつなぎ上映委員会公式ブログ

今後の上映予定は以下の通りです。
5月中旬 東京・東中野ポレポレ(問い合わせ先
7月25日(日) 長野・松本市中央公民館Mウィング(問い合わせ先
現時点での上映は以上の通りですが、反響が大きいようですので各地で上映されるでしょう。

※1:歴史的には、明治に近代法が確立する以前から、村有地や藩有地である山林の薪炭用の間伐材や堆肥用の落葉等を村民が伐採・利用していた慣習に由来し、その利用及び管理に関する規律は各々の村落において成立していた。明治期にいたり、近代所有権概念の下、山林等の所有権が明確になる(藩有地の多くは国有地となった)一方、その上に存在していた入会の取り扱いに関し、民法上の物権「入会権」として認めた。なお、このとき国有地として登録された土地における入会権については、政府は戦前より一貫してその存在を否定していたが、判例はこれを認めるに至っている。(Wikipedia「入会権」より引用)

高崎経済大学論集「入会権と入会慣習(PDF)

2010/03/11

ユニバーサル・スタジオ・シンガポール18日正式オープン

18日正式オープンとなるユニバーサル・スタジオ・シンガポール(USS)。それに合わせ、USSのあるリゾート・ワールド・セントーサの日本語のパンフレットが公開されましたので以下に紹介しておきます。

USSは、7つのテーマゾーンに24のアトラクションが設置され、内18のアトラクションが世界初またはシンガポール独自のアトラクションとなっています。世界初のアトラクションには、絶叫マシン「リベンジ・オブ・ザ・マミー」、シュレクとフィオナ姫が迎える「遠い遠い国のお城」、大ヒットアニメ「マダガスカル」を題材とした大テーマゾーンなどがあり、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンと比べると、約半分のアトラクションが異なるアトラクションとなています。

現地情報筋によると、全てのアトラクションは稼働していない可能性があるそうです。全てのアトラクションが完全に稼働するのが5月中旬と予想されているようです。また映画「シュレック4」のシンガポール・プレミアムがUSSで実施される可能性があるようですので、リゾート・ワールド・セントーサへ行かれる方は、5月中旬に照準を合わせるのがよいようです。
ユニバーサル スタジオ シンガポール

2010/03/06

iPhoneで新たな広告手法

iPhone上で読める新聞「産經新聞アイフォーン版」を朝食をとりながら読み進んでいると、今まで見たことのないカメラアイコンが現れました。

記事に関連したビデオでも見れるのかと思いクリックしてみると、その紙面にあった東京電力の広告キャラクターである男女のパペットが広告から飛び出し、「引っ越しするときは」「お早めに東京電力に連絡を!」「Let's access!!」と吹出しでメッセージを伝えます。キャラクターの足下には、東京電力のHPとCMにリンクさせたボタンが設置してありました。



産經新聞がアイフォーンへの配信を開始した時は、新聞をそのまま無料で配信したことで話題となりましたが、産經新聞アイフォーン版では、殆どの広告が消され配信されています。つまり配信版の広告料は別料金と言うことなのでしょう。

情報の信頼度では最も高いと評価されている新聞ですが、新聞購読者の減少傾向は止まらず、新聞各社は苦戦を強いられています。生き残りをかけ主戦場をインターネット上に移し、有料のニュース配信も試みられてますが、思うように顧客獲得には至っていないようです。そんな中、今回の取組みが、東京電力を満足させるだけのHPへの送客が図れれば、広告収入増に繋がるあらたな広告手法となる訳ですから効果のほどが気になりますね。

MSN産経ニュースより:東電がアイフォーン利用の次世代型広告 期間限定で配信

関連記事:「産経新聞iPhone版」の動画広告、CRI・ミドルウェアの「CRI Sofdec」を採用

2010/03/03

貴重な資料:グレン・ミラー物語

1950年代のアメリカ映画のパンフレット20数冊拝見しました。お借りしてコピーしてしまいました。

最初に目に止まったのが、ジャズを聴くきっかけとなったという方が多い、グレン・ミラーの伝記「グレン・ミラー物語(1953)」です。パンフレットの表紙には、主人公を演じたジェームス・スチワート。その妻役を演じたジューン・アリスの仲むつましい写真が使われています。


パンフレットには「映画史上に不滅の金字塔を建てた此の名作!〜あの日あの時...亡き夫と過ごした日々の想い出が数々の名曲と共に今美しい妻の胸を感動にふくらませる!」と、意味不明と思えるキャッチコピーが書かれていました。広告も面白く「テレビは国産最優秀品 ホープテレビジョン 輸入テレビをしのぐ素晴らしいテレビ 近代生活のスタア! ホープテレビジョンを是非」という聞いたことのない、何ともかっこの悪いテレビの広告が掲載されていたりと、日本で公開された1954年当時を知ることができる資料としても貴重なものです。

ユニバーサル映画の当時の副社長は「この映画は、わが社の歴史に残る三つの作品の一つになろう。即ち、“ショーボート”、“西部戦線異常なし”と“グレン・ミラー物語”である」と述べたと書いてありました。確かに3つの作品は名作であることは誰もが認めるところです。

映画ファンの方なら良くご存知とは思いますが、グレンは常に「ニュー・サウンド」と言う言葉を発していました。そのサウンドは、試行錯誤とリードトランぺッターが練習中に唇を切ったことで、「キラー・ディラー・サウンド」と呼ばれるようになったニュー・サウンドが生まれました。その代表作であり、第一作が「ムーンライト・セレナーデ」です。

この曲は、サックスセクションのハーモニーのリードをクラリネットが行い、それに2本づつのアルトとテナーサックスで構成されたハーモニーです。ハーモニーを支える低音を担当するバリトンサックスがないところが、何とも魅惑的な世界を生みだしました。当時、スウィング・ビック・バンドは、ダンスの伴奏を行うのが主でしたが、グレンが生みだしたサウンドは、踊るための音楽から、聴く音楽へと変えました。

映画では、彼のヒット曲が多く演奏され、加えて、当時の人気ミュージシャンである、ルイ・アームストロング、ジーン・クルーパー、ベン・ポラックなどのそうそうたるジャズマンが出演しているのも魅力です。この映画を見るのでしたら、クリスマスの時期がお薦めです。

新しいサウンドが生まれ、聴く音楽へと変わる象徴的なシーンが以下ですので是非ご覧下さい。グレン・ミラーは、1904年3月アイオワ州で生まれた、いまいちパットしないトロンボーン・プレヤーでしたが、1937年にグレン・ミラー・オーケストラを結成し、苦労の末、絶大な人気を誇るバンドとなりました。


グレンの生まれ故郷にあるミュージアアム(建築中):The Glenn Miller Birthplace Museum
映画の中でグレンが通う質屋さんは、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのニューヨーク・エリアに再現されています。

2010/03/01

素晴らしいオリンピックでした

バンクーバー冬季オリンピック。82の国と地域から集ったスリートたちが7競技・86種目で繰り広げられた、17日間の熱戦が幕をおろしました。開催期間中、熱戦をテレビ観戦するなかで強く感じたことがありました。それは、観客の応援姿勢です。観客はどの競技においても参加した選手に惜しみの無い声援と拍手を送っていました。そこには選手たちを包み込む、暖かさまで感じました。テレビとは言え、今まで見たオリンピックのなかで、政治や人種・宗教による差別などを感じることがなかった、最も素晴らしいオリンピックと感じています。

選手たちの「感情」「喜び」「集中」「動き」「精度」の公式写真

過去オリンピックは、スポーツを通じて世界平和を願うオリンピック委員会と選手たちの意に反して、その歴史は時代を映し出す鏡となってきました。国力を誇示するためや政治の道具として使われた時期。冷戦期間中、自由主義陣営、共産社会主義陣営の相反する国での開催に対し、オリンピックへ不参加。91年冷戦の中心国の一つであったソ連が崩壊、米国が超大国として「民主化」「グローバリゼーション」を唱え、冷戦は終結しました。そして1988年ソウルオリンピック以降、不参加表明のする国はなくなったと記憶しています。

しかし、超大国に圧制されていた世界各地の民族が「民主化」を唱え、世界で民主化運動が沸き起こり、加えて民族同士の紛争も再燃することとなりました。また、グローバリゼーションに異を唱えるイスラム原理主義過激派は、2001年アメリカ同時テロを起こしました。記憶に新しいところでは、北京オリンピックの聖火リレーに対し、中国国内でくすぶっていたウィグル自治区の民族問題が表面化、それに賛同する人々などが、聖火リレーへの妨害を行うなどの事件があり、オリンピックは民族独立の訴求の場として利用されることとなりました。

2月8日の報道ステーションで、1984年ユーゴスラビア(現:ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ冬季オリンピック開催後に起こった民族紛争のその後についての現地取材が放映されていました。平和の祭典と言われるオリンピック開催後、1991年クロアチアの独立宣言を切っ掛けに内紛が起こり、第二次世界対戦以降、最も不幸な紛争と言われたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に発展、1995年まで激しい内戦が続き多くの犠牲者を出すこととなりました。また、国連軍が人質に取られるなど、現地への対応についてNATO軍側での混乱もありましたが、平和交渉の席につかなかったセルビア人勢力に対し、最終的にNATO軍の激しい空爆により紛争終結となりました。その後、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦、スルプスカ共和国となり、外見的には連合国家として一つの国として建国されました。

番組では、悲惨な内紛の後を残すオリンピック施設や、墓地が足りずオリンピックスタジアムに隣接するサッカー場が、全て墓地となっている光景などが紹介されていました。オリンピック委員会の取材では、3つの民族から選ばれたの3人の委員が、民族や政治にとらわれない選手選考が実施されたこと。そして、委員・選手たちへのインタビューでは「スポーツを通して、それぞれの民族の相互理解と国の発展に寄与したい」。また「スポーツは、それらを実現するために大きな役割を果たす」と、力強く述べていたことが印象的でした。平和と悲劇を短期間に味わった彼らの言葉はまさに「オリンピクの根本原則」に則ったものでした。

3つの民族から選ばれたオリンピック委員と選手たちの自国の平和への思いは、バンクバーの平和の祭典への参加で、祖国の国民に十分に伝わったのではないでしょうか。

さ、12日からはパラリンピックです。日本選手を応援しましょう。

投稿にあたり

投稿には15分以上時間をかけないことを課し、誤字脱字、文脈の揺れを気にせず書いています。テーマはエンターテイメントを中心とした雑記。